2014年8月2日土曜日

平和主義が招いた戦争

第二次大戦は「平和主義が戦争を引き起こした」といわれます

平和を望めば平和が来ると思っている人にはショックでしょうが、実際に平和主義が戦争の惨禍を大きくしてしまったのは歴史的な事実としてあります

それは何故なのかを述べてみます

第1次世界大戦を経験したヨーロッパの国々は「もう戦争はこりごりだ」という反戦ムードに包まれ、平和主義が広がっていました

そうした中で、戦争に敗れて荒廃したドイツでは、1933年にヒトラー率いるナチスが政権を取ります

そして1936年にはフランスとの間で、非武装と定められていたラインラントへヒトラーは武力進駐します

しかし平和主義の広がったイギリスとフランスでは、事なかれ主義をとって、ドイツとの衝突を恐れて反撃することはありませんでした

のちにヒトラーはこう語っています「ラインラントへ兵を進めた後の48時間は私の人生で最も不安なときであった。 もし、フランス軍がラインラントに進軍してきたら、貧弱な軍備のドイツ軍部隊は、反撃できずに、尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった。」

歴史は後に戻すことは出来ませんが、もしも、この時のヒトラーの初期の挑発に、毅然として態度を取っていたなら、あの第二次大戦での酷い惨禍は無かったかもしれません

結局イギリスとフランス両政府は、ヒトラーとの平和機構を樹立させようとする妥協的な方法をとります

これがヒトラーに自身を持たせました「強気で押していけば相手は妥協する。何処までも押していくべきだ」という間違った認識を持たせてしまったのかもしれません

その後のドイツは、1937年スペイン内乱介入、38年オーストリアの併合、39年春チェコ併合など次々と周りの国々を侵略していきました

こうした事態にあっても英仏は平和主義をかかげ、他の国々が悲惨な目に合っている姿を見ても、自分たちの平和だけを望んでいるかのようでした。まるで現代の何処かの国のように

そして1939年9月1日、ドイツがポーランドへと侵略すると、ようやくそこでイギリス、フランスはヒトラーには平和的に当たっても無駄なことを知り、開戦を決意します

ですがドイツはラインラントへと進駐した頃と違って、軍事力と国力を充実させており、ポーランドを三週間で占領してしまいます

1940年ドイツは連合軍を破って、フランスを六週間で降伏させてしまいました

第一次大戦では勝利したフランスが、このようにあっけなく敗れた原因は、先の戦争の後遺症で、あらゆる戦争に無条件に反対するという平和主義が台頭していたこと(まるで現在のどこかの国のことのようですが)

急速に軍備を増強するドイツを見ても、ドイツが本気で戦争を始めるわけがないという根拠の無い楽観論が広がっていました(こちらも中国や北朝鮮が軍備の増強に励んでいるのに楽観論に浸っているある国にそっくりです)

フランスのみならず当時のイギリスも同じで、イギリス首相チェンバレンは平和主義をかかげてドイツに譲歩し続け、イギリス国民もそれを支持しました

チェンバレンのおかげで戦争が回避されたと絶賛され彼の名前を街に冠する運動まで起きたと言います

一時的な平和は得られたでしょうが、それによって後に大きな災いをもたらすこととなってしまいました

チェンバレンの政策は後に「平和主義が戦争を引き起こした」と批判されています

現在の日本の平和主義を見ていても、このチェンバレンと同じ過ちを犯そうとしているのが分かります

独裁国家の隣国が軍備の増強を進め、次々と強硬な姿勢を打ち出しているのに、平和主義と称して、安易な妥協を続けていると、後には取り返しのつかない事態を招いてしまいます

ヒトラーの台頭を許したのは、まさに戦争反対を唱える平和主義者達だったことを歴史の教訓として私たちは知らなくてはいけません

国家として慢心しすぎると他国への侵略を犯して戦争を起こしますが、同時に自虐的に平和のみ唱えていても、他国から侵略を招いて、これもまた戦争を招いてしまいます

真に平和を求めるなら、他国へ侵略しないのはもちろんのこと、他国からの侵略も防ぐ備えをしなければなりません

中道から離れて、どちらかに偏ると災いを呼ぶのは、国家でも個人でも同じことでしょう

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