2019年12月4日水曜日

韓国へ向け新脱亜論と甲申政変

今日は12月4日で、甲申政変(甲申事変)の起こった日です

おりしも日本の報道では韓国との融和をはかるために、日本側が譲歩すべきだという論調の記事が幾つか出ています



甲申政変について少し紹介したいと思います

甲申政変は、1884年12月4日に朝鮮で起こった独立党(急進開化派)によるクーデターの事を言います

政変の起こる前の朝鮮では、日本派と清国派があり、対立を深めていました

もとは親日派の閔妃と、親清派の大院君に分かれていたのですが、大院君が閔妃派の人間や日本大使館に火を放ったり日本人を襲った壬午軍乱と呼ばれる事態が起こります

こうした事態において、閔妃は次第に清よりになっていきました

それに親日派たちが不満を募らせ、革命派の金玉均と朴泳考が独立党を結成していきます

そんな矢先、清国とフランスの間で戦争が起こり、清国はフランスに敗戦します

この清国の敗戦により、朝鮮では独立党が活気づき、やはり日本についた方がよいという考えが強くなります

金玉均は日本の明治維新を手本として、朝鮮の近代化を進めようと考えたのです

そして金玉均が中心となって閔妃らを殺害しクーデターを起こしました

これが1884年12月4日に起こった甲事政変です

しかし、すぐに清国軍が行動し、クーデター側を攻撃して撤退させます

クーデターはわずか三日で終わり、金玉均・朴泳孝らは日本に亡命しました

この甲申政変を受けて日朝間の講和のために、1885年(明治18年)1月9日に漢城条約が締結されました

また、日本と清国の間で取り決めのため、日本から伊藤博文が、清朝から李鴻章が天津に赴いて交渉が行われ、1885年4月18日に天津条約が結ばれます

朝鮮の金玉均らを支援していた福沢諭吉は、彼らのクーデターが失敗したのを見て「脱亜論」を説きます

「脱亜論」で福沢は「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と述べます

維新を成し遂げた日本のように、朝鮮や中国は近代化できないなら、彼らを特別扱いするのをやめ、欧米諸国と同じような態度で接するべきだと説きました

いまも日韓併合の歴史もあり、日本は韓国に特別な配慮を考えている人がいます

相手から恨まれているなら、こちらが謝罪し、韓国を優遇しなくてはならないと思っています

しかし日本は韓国や北朝鮮、中国に対して、もっと距離をもって接するべきでしょう

韓国はいままた、日本とアメリカから離れ、北朝鮮と中国と親しくしようとしています

かつてきた道をふたたび辿ろうとしているようにも見えますが、その選択は韓国にとって不幸なものとなるでしょう

日本が韓国に譲歩したり、優遇する事が、かの国を引き留める力になるとは思えません

むしろアメリカのように厳しい態度で接するのが、韓国のためにもなるでしょう

そうした国を特別待遇することなく、欧米並みの態度で接するのが、彼らにとっても、日本にとってもよいでしょう


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