2019年12月9日月曜日

なぜ日本軍は負けたのか?日米戦争の敗因

なぜ先の大戦で日本はアメリカ軍に負けたのでしょうか?

物量に勝る米軍に勝てなかったという面はもちろんありますが、その以外にも敗因は幾つかあると思われます



昨日は真珠湾攻撃について書きましたが、今日は少し日本軍の敗因についても取り上げてみたいと思います

開戦当時の日米のGDPの開きは、ざっと十倍だったといわれています

経済規模で十倍の敵と戦ったため、敗れるのは当然だったという意見もあるでしょう

しかし、必ずしも経済力だけで勝敗が決するわけではありません

現に日本は、日清日露と自分たちより大きな国と戦って勝利を収めてきました

日清戦争の当時の清国は、世界一のGDPを誇っていて、対する日本は5分の1ほどに過ぎなかったといわれます

世界的にも清国が勝つだろうと思われていましたが、ふたを開けてみると日本軍の圧勝となりました

日露戦争の時も、ロシアの三分の一以下のGDPしかありませんでした

このように経済規模では負けていても、戦争では勝つこともあります

日米間では十倍以上も開いていたとされますので、これだけ差があればさすがに逆転は無理だったとも思えますが、戦争の内容を振り返って見ますと、幾つかの失敗が重なっているように見えます

やり方次第では、もっと有利な状況を生み出して、その間に講和に持っていく事も可能だったのではないかと思われます

その敗因のひとつには、日本軍が奇襲攻撃を好んで、兵站を軽視していた部分があります

奇襲作戦というのは、相手が準備している間もなく、意表をついて攻撃を仕掛けるものです

有名なのは桶狭間の戦いで、織田信長が桶狭間で雨のため休んでいる今川義元の軍に奇襲をかけ、見事勝利を収めています

今川軍は四万人以上とされ、対する織田軍は二千人ほどしかいませんでしたので、普通に戦えば今川の勝利だったでしょう

しかし織田信長は、今川軍が長蛇の列を組んで、雨で休んでいる時を狙って、本陣に奇襲したわけです

兵力は多くとも、細い道を歩んでいる時には、列が細長くなり、密集は出来ませんので、その疎になった本陣に襲い掛かったわけです

まさか敵が攻めてくるとは思っていなかった今川軍は、大将の首をはねられて破れてしまいます

日本軍にはそのように奇襲攻撃で相手を倒すという考えが強くありました

昨日の真珠湾攻撃にしてもそうで、米軍の意表をついて攻撃に出た面があります

ただ、ルーズベルト大統領は日本の奇襲を事前に知っていて、開戦させるためにわざと黙っていたとも言われます

このように奇襲を好む傾向がありますが、それに反比例して兵站を軽視する傾向が出ています

兵站というのは前線の軍のために、物資や食料などを供給するものです

いくら戦いには強くとも、兵站が続かなければ戦う事が出来なくなります

電撃作戦で相手が準備する間もなく、意表をついて攻撃を仕掛け、あっという間に蹴散らすのですが、戦線が伸びていくと、兵站が追い付かず、補給が無くなって敗れてしまいます

この兵站の軽視、補給が続かなければ戦えないという事が、日本軍が敗れた大きな要因となっています

たとえば南方戦線での戦いでは、食料の補給を軽視し「南の島はジャングルがあるから食料は森の中にいくらでもあるだろう」などと大本営の参謀は考えます

結果的にガダルカナル島なども、敵の攻撃よりも、飢えと病とに苦しみ、二万人ほどの日本兵が亡くなりました

これは兵站を極度に軽視しているために起こったことです

無謀な作戦としてよく引き合いに出されるインパール作戦もそうでしょう

当時インドを植民地支配していたイギリス軍がインパールにいたため、ここを叩くとして山越えの補給の難しいルートを選びます

この作戦を遂行するための食料は三週間分しか用意していなかったといわれ、全員が飢えで苦しんだのです

おまけに打つ弾も無くなり、イギリス軍の武器を略奪して戦いました

一方でイギリス軍の方は、輸送機で空から物資を補給し、不足することが無かったのです

日本軍は制空権を確保しなければ、補給が保てないことを学びます

このように兵站への軽視が、日本軍にありました

昨日の真珠湾攻撃でも、重油タンクも攻撃しておれば、戦いはもっと日本に有利に働いていたはずですが、そこにも兵站を甘く見る考えがあったのでしょう

逆にアメリカ軍は日本の兵站を狙って、輸送船を攻撃し沈めています

ガダルカナル島でも米軍に飛行場を奪われてから、それを取り返すために日本海軍が夜襲をかけました

アメリカのクインシーなど巡洋艦4隻を沈め、他3隻に大ダメージを与えたことは、当時大々的に勝利が報じられました

ですがこの奇襲では、空母や巡洋艦への攻撃を優先してしまい、当初予定だった輸送船団を見逃してしまっていたのです

このため米軍は補給が途絶える危機を逃れて、飛行場を占領した部隊は武器や食料を受け取ことになりました

ここでも兵站を軽視してしまった日本軍の弱点がみえます

さらにドイツ軍から1942年に、連合国の補給ルートを一緒に断とうという作戦を提案されていました

連合国の大西洋側のルートをドイツが叩くので、インド洋側を日本が叩いてくれというものでした

これが実現すればイギリス軍は孤立してしまい、アメリカが介入する前にあっさりと白旗を揚げていたかも知れません

日本軍は結局この作戦を断っています

ここにも兵站軽視の考えが見えるように思われます

第二次世界大戦はグローバルロジスティクスの闘いだったと言われることがあります

ロジスティクスとは補給の事であり、兵站の事を意味します

戦争というのは戦場における指揮官の能力や、兵士の士気などが勝敗を分けると考えられてきましたが、第二次大戦では、いかに必要な兵士と物資とを、戦場に送り続けることが出来るかが勝敗を決したと言われます

作戦の有無よりも、兵站が大切だったということです

日本にはこうした兵站や補給を軽く見る傾向があるため、よく注意しておかなくてはならないでしょう


2 件のコメント:

  1. 兵站なしには戦いはできないというのは真理でしょう。逆に相手の兵站を断つというのが効果的な戦術です。現代には金融兵器というのがあり、米国の主要な武器となっています。なにしろ米ドルとの交換を禁止されれば、どの国も貿易がなりたたない(特にハードカレンシーではない新興国は)。たとえば、中国は3兆ドルの外貨準備で6兆ドルの対外負債があり、純外貨資産はマイナスの3兆ドルと苦境におちいっているようです。先週金曜日のトランプのツイッターに、世界銀行はなぜ中国に金を貸しているんだ、やめろ、と書き込みがありました。そろそろ金融兵器の使用も検討しているのでしょう。

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  2. 私の世代の親や教師たちは口々に日本は戦争に負けて良かったと言っていました。私は戦争を知りませんが多分そうなのだろうと思います。GHQが書き直させた憲法も武装解除を目的としていますが、おかげでアメリカ軍の庇護のもと戦後の日本はとても平和で豊かな民主主義国家になったのは間違いありません。

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