2019年11月5日火曜日

ブラジルへ渡った移民たちの苦労 11月5日は日本ブラジル修好記念日

今日11月5日は、1895年(明治28年)に「日伯修好通商航海条約」が締結された日として、日本とブラジルとの修好記念日とされています


ちなみに伯というのはブラジルを漢字一文字で示す時に使われる言葉で、もともと当て字でブラジルを伯剌西爾と書いていて、その頭文字を使ったものです

日本とブラジルは地球儀を見ると正反対の場所にあって、日本から距離的にはもっとも遠い場所とも言えます

そのため吉本興業のお笑い芸人のサバンナ八木真澄という方が、「ブラジルの人聞こえますか?」と地面に向かって叫ぶというギャグがあるわけです(関係なかったですね)

この地球の反対にあるブラジルと日本は、移民を通じて縁のある国となりました

1908年6月に最初の移民約800人を乗せた「笠戸丸」がブラジルのサントス港に到着してから、戦前・戦後を合わせて約25万人もの日本人がブラジルに移住しました

今では日系6世もいて、約160万人という世界最大の日系社会がブラジルにあります

そしてブラジル人は非常に親日的な方が多く、それはブラジルへと移民された方や日系人の勤勉さや誠実さなどの人間性が評価されていることもあるでしょう

しかし、移民が行われた当初には様々な苦難が移民たちに待ち受け、そして日本が敗戦後には住民とのトラブルも発生しました

1900年代初頭の日本では、人口増加の受け入れ先を求めていました

それはアメリカが人種差別によって排日運動が盛んとなったため、移民が難しくなり、代わりとなる移民先が必要だったのです

その移民先と言うのが、ブラジルであったわけです

ブラジルも土地を開拓してくれる新たな労働力を求めていたため、利害が一致していました

日本で働き場所の無い人々は、ブラジルで働いてお金を稼ぎ、いずれは大金をもって日本へ帰国しようとする夢をもって渡航していきました

現在でも東南アジアの方々が、日本に出稼ぎにやってきて、お金を稼いで帰国するような感じで、当時の日本人もブラジルに渡って出稼ぎしようとする感覚だったようです

しかし、ブラジルにたどり着いた日本人に待ち受けていたのは、渡航する前に聞いていた話とはかけ離れた、過酷なものでした

コーヒー園の労働は過酷を極め、低賃金でこき使われました

今ブラック企業などが問題となっていますが、そんなレベルではない過酷な労働であり、しまったと思ってももう日本に戻ることもできません

しかし日本の移民たちは互いに力を合わせて、土地を開拓して様々な作物の栽培に取り組んでいき、徐々に生活は改善されていきます

日本人の勤勉さや真面目さが成功をもたらしていったと言えるでしょう

こうして日系移民たちがブラジルでの生活に希望を見出してきた時のことです

日本が敗戦する事態が起こります

地球の裏側にあるブラジルでは、情報が正確に伝わらず、日本が敗戦したんだと理解した者たちと、敗戦などしていないと信じない者たちがいました

これらの両者が対立し、流血する騒ぎとなったため、ブラジルのサンパウロ州政府は、日系人を招いて、敗戦の事情を伝える説明会を開きました

しかし多くの日系人は、いまだ日本の敗戦を受け入れられず、敗戦の説明に抗議したため、その様子がブラジルの新聞に載ることとなります

その新聞では日系移民が敗戦を受け入れない狂った人物たちとして描き、悪質な人々であると書き立てたため、ブラジル人の反日感情を高める結果となりました

そしてブラジル人と日系人の間で小競り合いが起き、日本人の青年がブラジル人をナイフで刺し殺す事件がおこりました

さらに翌日には、日系人とブラジル人との言い争いが起き、日系人が袋叩きに会うという事件が起こります

ブラジルの人たちは感情が高まり、町にある日本人のお店や建物を襲撃し、日本人を見つけて襲い掛かりました

そのため多くの日系人が殺されるという悲劇が起こったのです

さらに移民たちを狙った詐欺なども横行し、彼らは様々な苦難を経験することとなります

当時の記事には以下のようなものがありました

帰国詐欺に掛るな
 価値の無くなつた円紙幣を買ふな
  一般邦人へ特に御注意
『パウリスタ新聞』 1947年6月2日
 現在絶対不可能である帰国説を振廻しての金銭詐欺と無価値になつた日本紙幣を売り歩く悪性詐欺漢の横行
つまり日本に帰国させてあげると称して金銭を巻き上げる詐欺や、ハイパーインフレで紙くず同然となった円を高く売る詐欺が、移民を狙って横行したのです

しかし日本人が元来持っている勤勉さや誠実さによって、日系人たちはブラジル社会に溶け込み、成功していき、親日的なブラジル人を多く増やすこととなったのです

こうした過酷な運命の中、努力し成功されていって、周りから好意を持たれる人となっていかれた日系人の人々には、頭がさがりますね


4 件のコメント:

  1. 渡航費用は政府などの援助があったようですが帰りたければ自前でしょうか?
    もしそうなら… それも1人じゃなく家族分を、あの当時で…
    そこで頑張るしかなかったのかもしれませんが、今より海外からの情報量が圧倒的に少なかった時代、夢を持って行ったのに現実との壁を思い知らされたときの辛さはいかほどだったでしょうか...。
    月並みの言葉ですが 移民の方々のご苦労を偲びます。
    (サバンナ八木真澄という方のギャグシーン YouTubeで見ました·····
    八木さんのご活躍を祈ります·······)

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  2. 日系移民の渡航費については、初期の例で言えば「移民の船賃の補助10英ポンドは州政府が立て替え、そのうち4英ポンドは日本移民を雇用する耕主に償還させ、耕主は移民の給料からそれを差し引くこと」となっていたようです
    もちろん帰りの賃金の補助はありませんので、各自で稼いでから帰国費用を捻出しなければなりませんでした

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    1. 返信ありがとうございます。
      当時の4英ポンドの価値がわかりませんが、全額政府側(日本でもブラジルでも)がもってくれるわけじゃなかったんですね。
      考えてみれば徴兵制のような強制じゃなくて、「希望者」を募るのだからそうなっても仕方ないのでしょうか。
       仮に帰りたくなっても帰国代くらい簡単に稼げると思ったのかも知れませんね。 にも関わらずよくぞ過酷な労働、戦争の影、民族の壁(そして個人的に帰国詐欺に怒りが)などを乗りこえて成功を掴んでこられました。 洪さんも詳しく紹介して下さって改めてありがとうございました(^-^)

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  3. とても大切なお話をありがとうございます。
    本当に本当に過酷な運命だったのですね、、、、
    苦しい中でも頑張られた方々に敬意と感謝を捧げます。

    追記
    >そのため吉本興業のお笑い芸人のサバンナ八木真澄という方が、「ブラジルの人聞こえますか?」と地面に向かって叫ぶというギャグがあるわけです(関係なかったですね)
    サバンナ八木のあのギャグを、こんなに淡々と解説するとは、なんてハイレベルなセンスなのか。と驚愕&笑いがとまりませんでした。しかしそのあとの記事の高潔さで心が洗われました。ありがとうございました。

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