2019年12月8日日曜日

真珠湾攻撃は成功だったか失敗だったか

今から78年前、1941年12月8日は真珠湾攻撃の日であり、日米開戦の日であります

ハワイ州オアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍基地に対して、日本海軍は史上初となる空母を基幹とする空母機動部隊による奇襲攻撃を行いました



これは空母から出撃した航空機によって敵を攻撃することを主とする戦い方で、当時としては画期的な戦い方でした

日本海軍は空母6隻に零式艦上戦闘機、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機がそれぞれ100機以上350~400機を搭載していました

この日本の攻撃によって後の戦争の歴史が変わります

それだけ大きな戦果を残し、世界に衝撃を与える出来事でした

真珠湾攻撃の戦果として、アメリカの戦艦が4隻沈没、1隻座礁、3隻損傷し、航空機は188機が損失、159機に被害を与え、真珠湾の敵戦艦部隊をほぼ壊滅することに成功しています

ちなみに、この空母機動部隊の着想は、さかのぼればあの秋山真之さんによると言われています

秋山真之と言えば、日本海海戦の参謀であり、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公の一人として有名な方です

日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破した立役者のお一人です

その秋山さんが第一次世界大戦直後に、「今後、陸上機を発着艦させられる母艦が必要」だと述べていたそうです

将来は空母を用いて敵艦を攻撃する戦いを考えていたようです

第一次世界大戦後のワシントン軍縮会議において、日本は主力艦の保有比率を対米英6割に制限されていました

この主力艦の劣勢をどう補うべきか悩んだ末に考え出されたのが、空母航空機による攻撃でした

こうして画期的な空母機動部隊が誕生し、その後成果を目の当たりにした敵のアメリカも真似してきます

斬新な艦隊による攻撃を実現した日本でしたが、真珠湾攻撃では、さらに戦果を拡大させるために、第三派の攻撃もすべきだったという意見もあります

基地には、重油タンクや艦船修理工場もありました

ここも叩いておけば、真珠湾の基地能力は失われ、アメリカ海軍の軍事行動を大きく低下させられていたでしょう

これらの施設が残っていたため、アメリカはまた船を回してきて戦う姿勢をすぐに取り戻せたのです

航空艦隊の司令長官であった南雲忠一中将が、敵からの反撃を恐れて早々に引き上げたのが理由でした

これに対してさらなる攻撃を求める人もいました

第三戦隊司令官の三川軍一中将から再攻撃の意見もありましたが、これを退けています

山口多聞少将は搭乗員や参謀から再攻撃を意見具申するべきと言われますが、「南雲さんはやらないよ」と述べてあえて具申はしませんでした

また連合艦隊司令部でも、「再度の攻撃を催促すべき」との意見が出されたといわれますが、司令長官の山本五十六は「南雲はやらんだろう」と述べて、再度の攻撃命令は出さなかったといいます

この事から南雲中将の問題もありますが、日本全体の問題として、才能ではなく年功序列や席次で上に立つ者が決まる弊害があると思われます

南雲中将はその後も航空艦隊の司令長官を務めますが、ミッドウェー海戦で致命的な失敗をし、日本の敗因を決定付けています

これらはまた別な機会に書きたいと思います

真珠湾の重油タンクや修理工場をそのままにし、攻撃しなかったという失敗がありました

そのためミッドウェー海戦でも、米軍は真珠湾の修理工場で空母をすぐさま治して戦場に投入し、日本の敗戦に起因しました

もしも真珠湾の施設を攻撃して使用不能にしていたなら、こうはなるはずもなく、ミッドウェー海戦の結果も変わっていたでしょう

そしてもう一つは、真珠湾には空母が停泊しておらず、日本軍は見つけずにそのまま引き返してしまっています

もしも索敵をしっかりしておれば、米軍の空母を見つけ出し、これに大損害を与えていたことでしょう

米軍の空母エンタープライズやレキシントンは、近くにありましたので、十分に索敵していれば、発見して撃破出来ていたはずでした

アメリカ太平洋艦隊新司令官チェスター・ニミッツは真珠湾攻撃について以下のように述べています

「日本軍は港内近くにある燃料タンクに貯蔵されてあった450万バレルの重油を見逃した。この燃料がなければ、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であった。アメリカにとってもっとも幸運だったことは、空母が危難をまぬがれたことである。」

真珠湾の重油タンクと修理工場を攻撃しなかった事、空母を逃したことなどは、明らかに失敗だったといえるでしょう

このように真珠湾攻撃を見ても、日本は画期的な一面もありながら、致命的な失敗も見て取れます

単に物量の差でアメリカに負けたのではなく、そのやり方に間違いがあって、敗戦を招いた所もあるでしょう

過去の失敗は、そこから教訓を見出して、いっそう強くなることで、プラスの働きとなっていきます


4 件のコメント:

  1. 勉強になります。日本人は良くも悪くも詰めが甘いですね。必要までとことん打ちのめす事が出来ない。戦争や政治だけでなく、あらゆる場面でそのような状況が見られます。失敗を教訓とする事は、今の日本には絶対に必要ですね。と言いますか、失敗と思っていない事が、まず問題でしょうか、、

    返信削除
  2. 戦後日本は、焼け野原から奇跡的な経済成長を成したと言われ、ほんとに凄いことなのに、何故、政治と官僚と憲法とか自衛隊とか、そっちの方はmade by GHQのままで、時間が止まってしまったのだろう? 成長しなかったのだろう?ん?成長してたのかな?敗戦後、復興を目指したけど、経済だけ復興して、何故、政治関連の方は復興できなかったのでしょうか?

    返信削除
  3. 仰る通り、詰めが甘いですね。
    徹底的に打撃を与えて、
    引き際を見極め、
    山本司令長官の当初の思惑通り和平交渉を持ちこんでだら、今頃どうなってたのだろうと思いますね。

    返信削除
  4. ルーズベルトは日本と戦争したくてしょうがなかった、という話は戦史を研究した人なら必ずたどり着く結論ですよね。
    日本と戦争になれば自動的に三国同盟を日本と結んでいるドイツと戦争ができますからね。
    真珠湾攻撃の知らせをうけてルーズベルトとイギリスのチャーチルは電話で喜び勇んだと言われておりますね。もっとも国際電話が当時あったのか私は知りませんからこの話がたとえ作り話であったとしても真実をあらわしておりますよ。
    まんまとルーズベルトにやられた日本ですが、ルーズベルトとチャーチルには大変な誤算がありましたね。
    とうじ日本の飛行機は複葉機で布張り、日本人は猿で戦場からすぐ逃げ出す、赤子をひねるようにやっつけられる、と思う程度の人だったのですよ。
    中国にいたアメリカ義勇軍のシェンノート将軍からゼロ戦の驚くべき情報が発信されていたのにアメリカ当局は無視、握りつぶしましたね。日本人にそのような戦闘機を造れるはずがない。
    その点、ソ連のスターリンはひどい奴だったけど賢明だったよ。ノモハンあたりの将軍から伝えられる日本軍人のたぐいまれな頑強さに、絶対満州あたりには手を出さないと決めていたふしがありますね。日露戦争の203高地の戦いの話をスターリンが知らないわけがないだろうしね。
    あほのルーズベルトとチャーチルは日本軍をみくびっていたから、まさかフィリピンが陥落するとか、戦艦が何隻も沈められるとか、考えてなかったよ。
    チャーチルみたいな素人はアルミニウムで造られた飛行機が鋼鉄の戦艦を沈められるなんて考えもしてないだろうね。日本海軍航空隊はやってのけたよ。広大な航続距離をもつ双発機に魚雷をつんでマレー沖のイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを見つけ出して沈めたよ。そのあと日本軍はイギリス植民地のシンガポールを陥落させたね。フィリピンとシンガポールが陥落させられるとわかっていたらルーズベルトとチャーチルは違う考えをしていたはずだ。日本軍を過少評価していた先見性のない政治家であるし、ひどいやつだと思う。
    日本人は世界史の駒になってよく働いてくれます。白人の植民地政策に対する最後の砦だったよ。砦は潰されて、日本は負けたけど、そのあと東洋に白人を全部おっ払う勇気を残してくれた。インドの人からみたら鋼鉄のプリンス・オブ・ウェールズを素手で殴って沈めなくてはならないような絶対不可能だと思えることを日本人がなしとげたニュースを聞かされて、どんなにはげまされたかはかりしれないよ。
    これからの日本人も世界史に大切な駒となって働いてくれるだろうと信じきっております、私は。

    返信削除