2020年4月13日月曜日

かつて日本で疫病が大流行した時の政策


735年(天平7年)、日本の九州北部で天然痘が発生したと記録されています



当時の記録によれば、「野蛮人の船」(外国の海賊船か?)から疫病を移された漁師が流行のはじめとされています

別の説では、遣新羅使か遣唐使が感染源である可能性が高いと言われています

新羅は今の韓国であり、唐はシナ・現在の中国大陸ですね

いずれにせよ、今のコロナウイルスと同じように、大陸から日本へと天然痘が広まってきました

天然痘は、九州で発生したのち、全国に広まっていき、天平9(737)年6月には首都の平城京でも流行り、官吏の間で疫病が蔓延してしまいます

国政を担っていた藤原四兄弟も全員が感染によって病死する事態となり、朝廷の政務が停止されたと言います

現代に例えると、総理や大臣クラスが次々と病に倒れて、国政が止まったような状況です

天然痘の流行によって、当時の日本の総人口の25~35パーセントにあたる、100~150万人が感染により死亡したと言われています

さらに農民の多くが天然痘により死亡したり、農地の放棄に追いやられてしまったため、お米の収穫が激減したことで飢饉まで引き起こされてしまいます

疫病の大流行だけでも大変なのに、それに輪をかけて飢饉が襲ってきたのです

それ以前にも、725年に首都の奈良周辺で大地震が起こり、734年には近畿地方で大地震が発生しています

近畿で起きた地震についての記録では、『圧死するもの多く、山は崩れ、川は塞がれるなど大惨事をもたらした』と記述があります

聖武天皇がご即位された時代には、このように大地震に飢饉、疫病の大流行と、災害の多発する厳しい時代でした

おそらく今後の世界も、当時のように多難な時代を迎えるものと思われます

聖武天皇はこうした天災が続いて民が苦しんでいる様を見て、自分に深い責任があると感じ取ります

当時は為政者の不徳によって災害が発生すると考えられたわけです

そこで聖武天皇は深く仏教に帰依し、東大寺と大仏建立を計画します

奈良の大仏(盧舎那仏像)を建立して、災害を静めようと考えたわけです

当時の財政を傾けるほどの巨額を投じて、大仏建立が行われたと言います

今でいえば巨額の財政出動を行ったと言えるでしょう

アメリカでも220兆円をこえる巨額の財政出動を発表していますし、日本も108兆円の事業規模と述べています(ただし、日本のは真水の部分は10兆円ほどしかないという声もあります)

ともあれ、当時は巨額の公共事業の投資を行い、国難を乗り越えようとしたわけです

さらに当時は飢饉も起こりましたから、農業の生産性を高めるために、農民に土地の私有を認める法が施行されます「墾田永年私財法」

開墾した土地は、永久にその農民のものと定めるものです

それ以前には、開墾した土地は、三代までは所有を認めるものの、以降は国に返さなければなりませんでした

そのため農民の間に開墾意欲が薄くなってしまうという問題があったわけです

開墾した土地を、永年にわたり所有を認める事で、農民たちの意欲を増し、生産を高めていこうとするものでした

現代の日本に当てはめれば、相続税や贈与税を廃止するようなものでしょうか

このように、かつて日本で疫病が大流行し、国難の起こった時には、大規模な財政出動と共に、減税などの労働意欲をかき立てる政策をして、打開していったのです

現代でも参考になる出来事のように思います

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3 件のコメント:

  1. とても参考になる記事をありがとうございます。

    「労働意欲をかき立てる政策」
    今の政府の政策は、真逆を行っているように感じますね、、
    事の重大さに早く気づいて改めていかなければ、おっしゃる通り今後災害も起きてきそうです>_<
    危機管理の甘い日本に、耐えられるのでしょうか、、

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  2. 歴史から学ぶものがあるといいますが、現在の国難が、当時と似ているとのことですね。
    現在の政治家に、当時、先人達が国難を乗りきるために過去にとらわれず大きく舵をきって行ったことを見せてあげたいものです。

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  3. 以前、光明皇后と行基菩薩様のことを投稿した者です。

    人によっては、貧しい国家財政の中、大仏を造ったことへの批判的な気持ちになる方も居るかと思いますが、なにかの歴史書に記入されておりましたことは、当時の庶民は無給であっても大仏造営に参加する道を選らんでいたとあります。
    お金をもらって働くのではないのです。もちろんお金をもらって働く人もいたことでしょうが、砂を運ぶ、木材を工面する、なんでもよいから無給で労力を使ってもらう。

    来世、仏陀の住まわれている世界に生まれ変わりたいという心があるからこそ、無給の労力をいとわなかったと言われております。

    そういう観点からすると、大仏造営は庶民の心を助けたことになると思います。

    もう1つ、批判されますことは偶像を拝んではならない、とイスラムの人達は礼拝所に拝む対象物を造りませんし、プロテスタントの人達はカソリックの人達がマリア像を拝むことに批判的です。

    なるほど、真実の波動は目に見えます光の波長よりも遥かに周波数が高く、目で見えるものではないでしょう。
    しかし、木や石や銅を使って何かを表現し、礼拝することは失明状態の私達地球人には必要手段だと、私は考えてしまいます。

    むかし読みましたリバイ・ドーリング著「宝瓶宮福音書」の中にも、東方の三博士達の会話の中に、礼拝するための目に見えます対象物をつくる必要性についての話し合いがあったように思います。

    私自身は奈良の大仏の前でお祈りするかどうかはわかりませんが、それらのことを踏まえて、奈良の大仏様に批判的になる心はまったくございませんです。

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