2020年6月23日火曜日

沖縄は慰霊の日


毎年6月23日は、慰霊の日として私の住む沖縄県で制定されている沖縄戦の戦没者を追悼する日にあたります



第二次大戦中である1945年の6月23日に沖縄戦を指揮していた第32軍の司令部が自決し、組織的な攻撃の集結の日として記念されたものです

沖縄戦についてすこし書いてみます

沖縄戦の起こる前の作戦として八原大佐は、三個師団半の兵力と、強力な砲兵によって、米軍が上陸してきた二日目の夜に突撃して、水際で米軍を追い落とす計画を立てました

その作戦の通りに訓練は進められ、上陸米軍を追い落とす確信が深まっていたときの事です

台北会議で、沖縄から一個師団を引き抜くことが決まりました

沖縄戦を戦う兵力として三分の一弱の削減となってしまいます

突然の兵力削減により、作戦計画を立て直さなくてはなりませんでした

沖縄本島南部に軍の主力を配備し、本島の中部に上陸して南下してくると予想される米軍を、首里北方陣地線で防ぎ、持久戦に持ち込み、敵に出血を強要するという作戦です

決戦して水際で追い落とすという当初の作戦から、兵力が削られ、無理となったため、戦略的に持久戦へと変更されました

この作戦には賛否両論あるでしょう

持久戦に持ち込んだため、沖縄の民間人の死傷者が増えたという批判もあります

日本軍の特徴として、決戦を好み、負けると判断された場合、敵に無謀な突撃をしかけて全滅するパターンが多く、負けを覚悟で持久して、敵に損害を増やすという作戦は、従来潔しとされず、日本では好まれませんでした

ですが、沖縄戦もそうですが、硫黄島の戦いにおいても米軍に多大な損害を出すことになり、これによってアメリカで対日戦の早期の終結を望む意見が増えて、降伏条件を緩和させる元となりました

もし米軍がそのあと本土上陸作戦を実行したら、沖縄を遥かに越える犠牲者を出すことに恐れを抱いたのです

沖縄戦が決戦突撃を繰り返して、日本軍が短期で全滅していたなら、本土でも沖縄と同じような地上戦が展開されていたかもしれません

そうなっていれば皇室の存続というのも無かったでしょう

日本は戦勝国によって分割統治されていた可能性が高いと思います

アメリカだけでなく、ソ連や中国などにも地域によって分割され取られていたかも知れません

沖縄戦当初、米軍が上陸一日目に北・中飛行場を占領されたことに、中央や台湾の師団から、腰抜けと罵倒せんばかりの電報が矢継ぎ早におくられてきたといいます

持久作戦を計画したことからすれば想定内のことであったわけですが、日本軍全体に持久作戦を好まず、決戦をよしとする風潮があったことが伺えます

沖縄の司令部でも何度も決戦突撃が計画され、実行に移されたこともありますが、無駄に兵士を死傷させ、兵站を消耗したに過ぎませんでした

持久作戦を徹底できたなら、沖縄戦では日本軍はもっと有利に戦いを行えていたでしょう

ただ、首里にあった司令部を捨てて、南部に移動したことは正しかったかどうかわからない所があります

すでに県民らは戦火を逃れて南部に移動していたため、日本軍も南部に転戦するとなると、民間人も戦渦に巻き込まれて多大な被害が出る事は分かったでしょう

そこまでする必要があったのかは分かりませんが、持久戦で米軍にも被害を大きくしたことで、日本本土への上陸作戦や、厳しい処断は回避できた点があったのではないかと思います

多大なる被害を出しましたが、すべて無駄死になのではなく、そうした意義はあったものと信じます

亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします

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2 件のコメント:

  1. 涙が出てきました。
    沖縄戦で亡くなられた方々が浮かばれますように。
    あなたがたの死を決して無駄とは思いません。
    心安らかにいられますように。

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  2. この命を無駄にするかどうかは、今の私達の選択次第だということを日々ブログで学ばせていただいています。
    先人方の尊い命を決して無駄にしないよう、私達日本人は目覚めなければいけませんね。

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